ヨナオシクス

まったり三十代フリーランス(無職)の世迷い言集

自己責任論について考えてみよう

「自己責任を声高に叫ぶ時、大体その人間は調子が良い時だ」

 

と思う。

 

「上手くいくのも上手くいかないのも自己責任だろ」

 

というやつだ。

 

その事について気がついたエピソードが一つある。

 

兄弟の友人に一人とても家庭環境に恵まれない子がいた。

 

たまに家に遊びに来たりもしていたが、話しているとなかなか頭の回転の速い子で、色々と物を知っていて関心したこともあった。彼の兄弟も聞くところによると誰もが知っている有名進学校に通う秀才のようだった。

 

頭の良さはあったものの、この兄弟は親に恵まれなかった。結果的に彼は有名進学校を辞めアルバイト生活をして荒んだ生活をするようになる。最終的には兄弟両方とも生活が破綻していた。

 

このときに思ったことがあった。「自己責任とはなんなのだろう」と。

 

分野を問わず多くの人間が成功を得るには、努力が必要であることは理解できる。ただ、果たして彼らは彼らの努力だけでその成功を獲得できたのだろうか。

 

例えば有名大学出身を誇る人間の中に「親に包丁で刺されそうになった」と深夜に友人の家のドアと叩いた経験がある者はいるのだろうか。

 

たまたま恵まれた家庭に生まれた結果、勉学に励む環境に恵まれたからそうなっただけとは考えないのだろうか。

 

もちろん人並み外れた努力をしているのは分かるが、大前提となるベースがイコールではないのに、自己責任論を振りかざすのは傲慢で横暴なのではないかということだ。

 

こうして長い間自己責任について考えているとある日「運」という言葉が頭に浮かんだ。

 

「そうか、自己責任を運という言葉に置き換えたらとてもマイルドになる」と。

 

「上手くいくのも上手くいかないのも運だろ」と。

 

「努力しようと思ったのも、そういうきっかけがあって運よく努力しただけだろ」と

 

どこか運命論のようで、責任回避のようにも聞こえるが、物事を突き詰めるとこういうことなんじゃないかなと最近よく思う。

 

こうして、ブログを書き始めたのもふとしたきっかけが理由だったしね。

 

運を支配する (幻冬舎新書)

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30代になると増える結婚の話題

30代になると「結婚」についての話題が周りで増えたと感じる。

 

20代の頃にも結婚した友人は山ほどいたが「したんだ」くらいのスタンスで軽く流す程度であった。

 

20代の頃の結婚話は「余裕」をもって語られるが、30代の結婚話は「逼迫感」に満ちあふれている。



基本的に女子がする話で男同士ではあまり口にすることはなかったが、やはり30代も後半戦に突入すると性差なく語られるようになる。

 

どうしよう」という言葉と共に。

 

この「どうしよう」の背後には、

 

このまま一人で年老いて死んでいくのだろうか

周りは次々に子供が生まれて自分は自分の子供を抱けないまま一生を終えるのだろうか

 

など「」というビッグワードが隠れている。

 

20代の結婚話は「」や「希望」で、30代の結婚は「」や「孤独」の恐怖によって促される。



では、結婚をすることで問題が根本から解決するのかといえば必ずしもそうとはいえない。「結婚」がさらなる修羅場を作った話を数多く聞いてきた。彼ら彼女らはその話になると優れたストーリーテラーへと毎回変貌する。



仕事が順調でお金を持っている人間であれば、「死」や「孤独」の恐怖をお金によってある程度解消できるのだから、結婚という選択肢を選ばなくてもよいのではとも思った。しかし「仕事だけでは発展がない」「意味がない」と結婚に踏み切っていく姿も数多く見た。



このように、様々な事例を聞いたことで一つ分かったこと。それは結婚とは非常に「非合理的」なもので、ロジックで説明できるものではないということだ。生物的な本能とでもいうのだろうか。

 

この前聞いたラジオでとても良いことを言っていた。

 

一人で幸せを感じることができない人間は、結婚しても幸せを感じれないよ」と。

 

ここになにか重要なヒントが詰まっている気がする。

 

いずれにしても、フリーランス(無職)が結婚をすることはない。あるとすれば、自分よりも稼ぐ能力のある人間を支える形になると思っている。

 

相手をリスペクトする気持ちは大事だね。

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お金がない人間がいくらあったら満足するのかを考えた

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おっかねー(お金がない)。

 

 

 

お金がありません。

 

 

 

口癖のように言っている言葉だが、勤め人をして毎月安定した給料をもらっていたときも口にしていた気がする。

 

当時、製造業界はリーマンショック前の刹那的な円安好景気に湧いていて、ボーナスをたくさんもらった。それでも「お金がない」と言っていた。

 

半分ジョークのようなニュアンスも含まれていたが、今は現実として口座の残高が限りなく0に近い。リアルに「お金がない」のである。

 

逆に未だかつて「お金がある」と言ったことがないことに気がついた。

 

一番持っていたときに、口座に数百万あったときも「足りない」と言っていた。

当時は億単位のお金がなければお金を持っていると思えなかったのだと思う。

テレビで連日のようにホリエモンのような若手IT億万長者の姿を目にしていたからだろうか。

 

改めて今考える。

仮に億単位のお金を手に入れたら何に使いたいのだろう。

 

例えば宝くじのBIGでキャリーオーバー中の6億円が当たったとしよう。その時に何に使いたいかを自問してみた。

 

すると、ラッパーのようにオープンカーに乗ってビーチで水着ギャルに囲まれているパリピなイメージが頭に浮かぶ。

 

しかし、現実は3時間もしたらテンションについていけず「一人にしてください」と姿を消してしまいそうだ。

 

つまり、仮に有り余る大金を手に入れたとしても、それを何に使うかといった具体的なイメージが頭の中にそもそもなかったのである。

 

つまり、自分が使っていた「お金がない」の裏側には「お金を使って何かがしたい」というポジティブな意味よりも、「不安を解消したい」というネガティブな側面が強かったということだ。

 

一体何にそんな不安を感じていたのだろうか。

思いつくものを挙げてみた。

 

  • 老後資金
  • 親の介護、葬式費用
  • 結婚資金
  • 子供の養育費と学費
  • 家購入資金
  • 車購入資金
  • 健康と医療費

 

ずらずらと並べていくと「存在しないものに不安を感じていた」ことに気がついた。

別の言い方をするならばポジティブ、ネガティブ内容問わず「可能性」に恐怖していたのだ。

 

変な話、色んなものを手放してお金が無い今の方が体感的な不安の総量は減った気がする。諦めが多くの可能性を自分の中から消したことが功を奏したからかもしれない。

 

「杞憂」とは杞という男が空が落ちてくるとありもしないことを気にしている様からできた言葉だそうだが、まさに自分はこの状態だったようだ。

 

今は価値観と生活を見直してストレスなく最低限満たされるであろう生活費を計算したところ月20万円必要という答えに至った。

 

つまり、大卒の初任給は理にかなっていて、実は既に必要な金額をはるか昔に手に入れていたのだ。

 

ふりだしにもどる。

 

 

この世でいちばん大事な「カネ」の話 (角川文庫)

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怪奇!自己紹介ゾンビ症候群の話

今週のお題「自己紹介」

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今週のお題というものに投稿してみた。

 

いつの頃からだろうか、自己紹介と聞くと就活を連想するようになってしまった。

本来はもっとフランクなものだったはずだが今となっては言葉を聞くだけで堅苦しい気分になる。

 

そういえば、昔就活をしていたときに自己紹介と自己PRの違いについてとても戸惑った記憶がある。

 

自己紹介と自己PRでなぜ同じことを2度話すのだろう?」と純真な子供のような視点で就職市場を眺めていた。

 

しかし、よくよく調べてみると自己紹介は自分の経歴について触れることで、自己PRは会社に入ったらどうしたいかという「意気込み」を意味していたようだった。

 

なぜ単なる「意気込み」を横文字をつけて分かりづらく言い直すのだろうか。

横文字を多用する人間は疚しいことを内に抱えている人間だと思うようになったのは、この頃からだった気がする。

 

で、新卒で社会のことをほとんど知らない人間が自己PRで考えつくことなんていうのは「潤滑油」「ものづくりが好き」くらいしかない。

 

特技がある人間なら「英語が使える」「プログラミングができる」「会計の資格を持っている」といった裏付けがあるのでまだ説得力があるだろうが、その他の人間はそこまで目的意識を持って大学生活を送っているとは限らない。

 

さらに、必ずしもその企業の業務内容や製品が魅力的だからそこの面接を受けている人ばかりでもないだろう。

 

なんとなくたくさんエントリーシートを送って引っかかった場合、「なんでウチを受けたの?」と言われたら「自分が成長できる場だと思ったからです」と自動応答になってしまうのは仕方がないような気がする。

 

まあ、それよりもそういったことをずっと続けていたからなのか、プライベートの場でも自己紹介をするときに考えすぎるようになってしまった。

 

初めまして私の名前は〇〇です。よろしくね」くらいでいいはずのところを、「私は〇〇です。今までこんなことをしてこんな人間です」とまで説明するようになってしまった。

 

相手に自分を印象づける点ではよかったのだろうが、段々煩わしくなってきてしまった。かといってその習慣に慣れてしまっていたので、説明を省くとそっけない人間と思われてしまうのではないかと次第に脅迫的に自己紹介をするようになっていた。

 

さらに、自己紹介マウンティングという自己紹介の優劣を競う負のスパイラルに巻き込まれ、実力以上に背伸びをする生き方になっていた。ある日、それに気がついた時には心身ともにボロボロだった。

 

もういやだ、自己紹介はしたくない!」と心の声を聞いたとき自分は人に自己紹介をすることをやめた。そして、自己紹介をしないように人と関わることを極力避けた。

 

紆余曲折あったが今はなんとか人と簡単な挨拶を交わすまでに回復するに至った。

 

当時を振り返り「怪奇!自己紹介ゾンビ症候群」とこの現象を命名した。今でも再発に怯えながら暮らしている。

 

おしまい

三十五歳以上はニートになれない話

バイトをクビになった。

 

迷える三十代フリーターの身辺雑記」と題していたが、副題を変えなければいけない。

 

まず思い浮かんだのが「迷走する三十代ニートの心情吐露」であったが、「あれ?まてよニートって確か年齢制限があったんじゃないか。。」とどこかで聞いた話を思い出した。

 

得意のWikipediaで調べてみたところ以下のような文章を見つけた。

 

 ニート(イギリス英語: Not in Education, Employment or Training, NEET)とは、就学・就労・職業訓練のいずれも行っていないことを意味する用語である。日本では、15〜34歳までの非労働力人口のうち通学・家事を行っていない者を指しており、「若年無業者」と呼称している。

 

ニート - Wikipedia

 

15~34歳までと書かれていた。

どうしよう。。何者でもなくなってしまった。。

 

35歳以上は無職でカテゴライズされるらしい。

日本語の美しさをこんなところで感じるとは思わなかった。

でも、無職だとニートのような華やかさがないなあ。。

 

そういえば、フリーランスという最終奥義があることを忘れていた。

フリーランスは社長よりも使用の敷居が低い。

横文字なので舶来品のような風格も持ち合わせた素晴らしい言葉だ。

ウィスキーでいうところのジムビームのような立ち位置である。

 

こうして、フリーランスを使って考え抜いた結果新たな副題が完成した。

 

まったり三十代フリーランス(無職)の世迷い言集

 

まあまあ体裁が整った気がする。

誰か仕事ください。

 

 

フリーターが必要に迫られて家計簿をつけるまで

フリーターになると収入が下がる。

そして、収入が下がると直面するのが財務体質のスリム化である。

 

会社勤めをしていて固定収入をもらっていたときにも、もちろん節約はしていたが家計簿をつけてまでシビアにしたことはなかった。財布にいつも3万円を入れていてATMで引き出す頻度で体感的に使いすぎかそうでないかを判断していた。

 

そう、ガバガバだったのである。

 

そしてそのツケによってついに貯蓄が底をつき始めたのであった。

 

こうして家計簿をつけることになったのだが、Money Forwardのようなクラウド会計ソフトを使うようなことはしていない。エクセルを改良したものを使っている。

 

まず、月々の支出にどのようなものがあるかを洗い出した。

 

【交通費】:仕事に必要な交通費

【食事(小)】:簡単にすませる食事

【食事(大)】:がっつり食べる食事

【軽食、飲料】:お菓子や飲み物

【酒】:一人で飲むお酒

【煙草】:タバコ代

【博打】:パチンコ、競馬、競艇、株、FX、宝くじ等

【遊興費】:一人で遊ぶお金

【交際費】:友人や知り合いと遊ぶお金

【雑費】:ちょっとした細々としたものを買うお金

【書籍メディア】:本、雑誌、オンラインメディア契約料

【衣料・雑貨】:服代

【衛生用品】:整髪料など

【医療費】:医者代

【健康管理】:ジム代など健康維持に役立つもの

【散髪】:散髪代

【通信費】:携帯やWifi-契約料

【契約料】:クレジットカード年会費など

【保険・年金・税金】:国保、年金、所得税、生命保険など

【仕事】:フリーの仕事でかかるお金

 

現在は実家暮らしだが、もし一人暮らしをしたらさらに以下のような支出が追加で発生する。 吐きそうだ。

 

 家賃
水道費
電気代
ガス代

 

こうして並べていくと月々に発生する費目の多さに驚嘆する。

 

そして、これらを日次ベースで記入していき、月次ベースで集計したものを別シートに作成した年次の終始管理表に転記していくとその年に起きたことを俯瞰できてとても便利だ。

 

かれこれこの家計簿をつけ始めて3年経過するが毎年収支は赤字で困っている。

 

一体何が原因なのか要因分析をしてみたところ答えは明白であった。

 

食費

タバコ

博打

 

ととてもシンプルなものだった。

 

まさに底辺に生きる人間のテンプレのようなデータを目の当たりにすると、自分が何者かが分かり哲学的な発見さえあった。データは客観的な視点でものを見て嘘をつかない。

 

結果的にタバコと博打に関しては支出の蛇口を締めることに成功した。それだけで年間の支出が10%減ったのだから恐ろしいことである。

 

残るは酒と食費だが一筋縄では行かなそうだ。

 

もし、毎月毎月口座にお金が残らなくて悩んでいるという人は是非一度家計簿をつけることを試してみてほしい。

 

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晴れた日の桜と昼酒の誘惑

ここ数日晴れた日が続いている。

 

どこかカフェか何かで読書でもして過ごそうと思ったが、青空と太陽の日差しが眩しすぎてフラフラと散歩でもすることにした。

 

電車に乗って十数分、川沿いの桜で有名な場所の最寄り駅で降りる。すると、思ったよりも桜の開花が早いのか満開になっていた。

 

まだ、3月だというのに地球の終わりも近いなんてことを考えながらとぼとぼと歩く。適度な陽気、美しい桜の花、脳内麻薬が分泌されて多幸感が体の内側からこみあげてくる。

 

「もっと、気持ちよくなりたい」

 

そんな言葉が頭をよぎった。つまり、酒を体に入れたいということだ。

 

昼酒が世間では流行っているようだが、昼間に酒を飲むことのエンターテイメント性はたしかに素晴らしいものだ。

 

ただ、昼酒をするとその日は活動終了となってしまう。一杯では止まらなくなり、最終的には夜まで飲み続けることは目に見えている。この後もやらなければいけないことがたくさんある。

 

苦しい。

 

桜の季節、禁煙をする前は「うわー、お花きれいー」とタバコを吸っていたはずだが、いつの間にかそれが酒に置き換わっていた。

 

今思えばタバコは吸っても後に引きづらないし、良い点も持ち合わせていたのだと思う。もし、禁酒をしたら美しい桜を何と一緒に味わえばいいのだろうなんてことをずっと考えていた。

 

すると、いいことを思いついた。コンビニでキンキンに冷えた炭酸水を買った。

 

ボトルをひねると「プシュッ」と小気味よい音がする。そして、シュワシュワと音を立てる液体を喉に流し込むと案外といけるのだ。

 

「ビール飲んでるみたいでおいしー」

 

お酒やタバコの力を借りなくても桜を楽しむことができるとは思わなかった。